石鎚会グループのANNUAL REPORT 2025より、京都府立医科大学の夜久均学長と医療法人社団石鎚会の会長、石丸尚子との対談をご紹介いたします。

 

地球環境のみならず社会環境をも、目まぐるしく変化しつづける2020年代。
激動の世の中にあっても、医学・医療を通じて最高のケアを届けられる次代の人材を育てること。
行政、産業界とアカデミアをつなぎ、ステークホルダーの中核を担いつづける京都府立医科大学。大学理念に基づく夜久均氏の近未来ビジョンが、明日への希望を切り拓きます。

建学の精神を礎に、世界トップレベルの医学と地域医療を両立する。

石丸:京都府立医科大学は2022年に創立150周年を迎えられた長い歴史のある大学です。御校ならではの特色や強みと考えられていること、また大切にされてきた価値観についてお聞かせいただけますでしょうか。

夜久:本学は明治5年(1872年)創立で今年度が154年目に当たります。2022年には150周年記念式典と祝賀会も催しました。
本学の歴史については、時間的な「長さ」よりも建学の「いきさつ」を誇るべきだと考えています。建学の精神こそが失ってはいけないもの、変えてはいけないものの原点だと思っています。
創立した明治5年といえば明治維新の混乱のさなかです。京都では明治天皇が東京へ移られたことによって府民の心が空虚になっていました。また、戊辰戦争の契機となった鳥羽伏見の戦いが勃発し、戦乱の世が始まっていました。そんななか、我々の建学の立役者の一人である山本覚馬――会津藩士であり非常に優秀な方だったのですが――が瀕死の重傷を負い、運び込まれたのが相国寺の薩摩藩の救護所でした。そこで薩摩藩医であったイギリス人外科医ウィリアム・ウィリスによって西洋医学による手術を受け、九死に一生を得たといいます。山本覚馬は西洋医学の偉大さを身に沁みて実感し、「日本に学問と医療がなければ国は滅びる」と確信したのです。
いくつかのお寺が発起人となって、経済界、産業界、府民市民、花街の方々からも寄付をいただき、府民の希望のもとに創立したのが京都府立医科大学です。その建学の精神がいまの大学の理念「世界トップレベルの医学を地域へ」に引き継がれていています。我々の強みはそこであって、これは失ってはいけないことです。
ちなみに山本覚馬の妹は八重、のちの新島八重であり、同志社を設立した新島襄の奥さんです。

石丸:京都府立医科大学は、府内の地域医療を支える役割を担う一方で、世界最先端の研究・医療にも取り組まれてきました。

夜久:学長を仰せつかって2期目に入りましたが、1期目の始めに、理念に基づいた大学のビジョンとして二つの大学像を追究することを掲げました。
一つは、医学分野で世界に伍する研究大学であること。もう一つは、公立大学の使命でもありますが、京都府民、市民、行政、産業界、アカデミア、学生も含めてすべてのステークホルダーの信頼を得る地域の中核大学であること。まさに理念を全うするこの二つの大学像を追究していきたいと思っています。

石丸:世界トップレベルの医学と地域医療を同時に追究することはかなり難しいという印象ですが、バランスはどのように考えていらっしゃるのでしょう。二つを両立していくことについてお聞かせくださいますか。

夜久:そうですね、難しいかもしれません。歴代学長も悩まれていたし、他の公立大学とも同様の議論になります。けれど、それらは相反するものじゃないと私はいつもいっています。

石丸:世界トップレベルの医学と地域医療は並び立つことができるということですね。

夜久:はい、両立しないといけないし、両立できるものです。特に地域課題はいま最先端の課題であって、それを解決するために研究力が必要でイノベーションも要る。いろいろなテクノロジーや智恵を注ぎ込むべき課題だという点で、解決には世界トップレベルの研究が必要なんですね。我々が世界に研究成果を発信できるようなノウハウを持っているならば、それを地域へ還元することもできます。地域から新たな課題を抽出して、その解決のなかでイノベーションが起こってくる。それを逆に世界に発信することもできるのです。これは両立しないといけないし、両立できると私自身は思っています。

石丸:よくわかりました。イノベーションのお話もありましたが、京都府立医科大学の長い歴史のなかでで、長年変わらず守ってきたものと、変えなければいけないものとがあったかと思います。医療や教育、研究を取り巻く環境が大きく変化するなかで、「変えていくべきもの」と「変えてはならないもの」をどのように切り分けてこられたのでしょうか。

夜久:先ほど建学の精神など残すべきコアな部分について話しましたが、実際のところ、それ以外のことはどんどん刷新すべきだと思っています。

石丸:ドラスティックに変えるということでしょうか。

夜久:長い歴史があるだけに、新しいものを取り入れにくい側面があります。過去の歴史のなかですでに実践済みのことも多く、なかなか新しいものに飛びつけない。それは歴史ある古い組織の弱点にもなりうるということです。まさに我々の大学もそのような弊害を被っていることは実感しています。それらをいかに新しく変えていくかを考えることも学長の役割です。

石丸:学長としての2期目でそれを実践されるわけですね。

 

医学・医療を志す者は「人間力」を育み、未開の道を恐れずに進む。

石丸:京都府立医科大学は地域医療を中心とした地域課題を解決することと、トップレベルの医学・医療の両立を目指して歩んでこられましたが、150年という長い歴史において社会も大きく変わってきました。昨今の少子高齢化、人口減少社会のなかで、倫理的な考え方、人口構造や医療ニーズも急速に変化しています。これからの医療を担う人財にはどのような力が求められるとお考えでしょうか。京都府立医科大学を担う人財として求められる学生像など、先生のお考えがございましたら教えていただけますか。

夜久:いつも卒業式で、これから社会に出ようとする学生にいう言葉があります。一つの大きな精神で私の座右の銘でもあるのですが、“ Where there is a will, there is a way”「志あるところに必ず道は開ける」。スキーをしたことのある人はよくわかると思いますが、轍の後を滑っていくのはすごく楽なんですね。既定路線を辿っていくとこけない。しかし、前を走っている人を抜くこともできない。
かたや新雪は足を取られてすぐこけるんですよ。ただ、まっさらの雪の上を滑るのはすごく気持ちがいいし、自由な方向へどこまでもいける。こけるのを恐れて躊躇するんじゃなくて、こけてもいいから新雪を滑っていけ、という意味です。
こけることはぜんぜん恥ずかしくない。社会においても人々は他人がこけることなんてまったく気にしていない。ただ、こけた人がどう起き上がるか、これは見ているよと。社会に飛び出す、これから旅立っていく学生には新雪に歩み出す精神を持ってほしいと思っています。入学式の式辞では、人間力をつけることについて話します。知識とか学力だけではない、人間力をいかにつけるかということを強く意識しなければ、学生あるいは社会人としても、活躍してしっかり生きていくのは難しい。
現在、医師になるための医学・医療のカリキュラムはすごくタイトで、高校3年までは医学部へ入るための受験勉強、大学入学後は1年目の3学期からもう解剖の講義が始まるので、学生としての自由時間は実質的に1年足らずなんです。医学教育のボリュームはますます膨らんでいて、出席確認も大変厳しくなっています。
それでも人間力をぜひ身につけてほしいと、入学時の1年生にはいっています。人間力とは傾聴力、主張力、忍耐力、そして自己啓発していく力のことです。他にもいろいろありますが、この4つが大きな要素です。これらは人の話を聞いたり、自分の意見をいったり、人とのつながりを作るコミュニケーション力でもあります。特に我々の仕事は医学的配慮が必要な患者さんを相手にするので、人間力は医学生も看護学生も共通に必要です。

石丸:これから6年間医療を学ぶ学生たちへの大切なメッセージですね。
先生は実際に学生さんたちと接して6年間の成長をご覧になっています。私たちが医学生だった頃と比べて、現在の学生さんたちは価値観や将来像、キャリアに対する考え方が違ってきているとよくお聞きします。

夜久:実際のところ学長は学生と接する機会は多くないのですが、教授時代はダイレクトに少人数単位での関わりがありました。

石丸:学生さんたちの様子が時代とともに変わってきた感触はありますでしょうか。

夜久:やはり変わってきていますね。他の教授から聞いたことなども含めますと、かなり変化しているようです。
我々の学生時代は医学教育だけでなく、クラブ活動や遊びも含めて比較的自由にいろいろな経験をしてきましたが、価値観としては医学部生のそれに囚われていた気がします。何科の医師になるか予め進路を決めていた人もいるし、いずれにしても最終的にはいい医者になるという目標を持って皆がんばっていました。それに比べて今の学生は考え方がいい意味で多様ですね。我々の世代には想像できないくらいに。

石丸:そうですね。私たちの時代は学生時分にいろいろな経験をして寄り道をしても、最終的にはいい医師になることを目指していました。その頃とは違い、今の医学生たちは多様な価値観を持っておられるのですね。

夜久:例えば、休学して起業した学生がいました。医療系のアプリの会社を立ち上げてコロナワクチンの予約システムを作り、それを安価で医療機関に提供していました。4年間休学して、最終的に復学して医師免許を取るべきか否かを相談しに来たのですが、「医師免許は取っておけ」と助言したら、臨床実習をして国家試験も合格しましたね。そういう人とは学生というより社会人と話しているような感覚を持ちます……大人ですね。他にも、国家試験の準備をしながら司法試験も受けるという学生がいます。

石丸:すごいですね。京都府立医科大学には多様性を受け入れる寛容さは昔からあるように思います(笑)。

夜久:そうですね(笑)。映画監督の大森一樹さんや精神科医・ミュージシャンの北山修さん、バイオリニストの石上真由子さんもご活躍ですね。
一方で、アンプロフェッショナルな人物も出てきています。教授とアポを取っていても無断でキャンセルするような。

石丸:無断ではなくとも、メール1本で簡単にアポをキャンセルする方もいらっしゃるとか。私の時代はそんなことをしたら学校にいられない……教授と面会するだけで緊張していました。キャンセルなんて絶対にできなかったですね。

夜久:一部ですがそういう学生もいます。その意味で、いいことも悪いことも多様性が広がっているというのが今の学生の特徴のような気はしますね。

石丸:大学を卒業した後、多くの方は医療者になられます。研究や臨床など、立場はさまざまですが、先生が先ほどおっしゃったように、私たち医療者は医学的に配慮を要する人に対応する仕事を担っています。そのためには、多種多様な人々とさまざまな場面でコミュニケーションができる能力が大切になってきますね。

 

ステークホルダーの中核として。異文化交流が成熟した人間と社会を創る。

石丸:京都府立医科大学は以前から地域のさまざまな住民の方々と一緒に対話し、協力し合いながらステークホルダーの中核として歩んでこられてきました。けれども昨今は、一般的な医学研究の分野において、人財不足の問題や経済面での課題もあり、大学だけで成果を出すのは難しくなっているという印象があります。
総合大学でなく単科大学という立場において、他の大学や企業との連携、産学連携、あるいは行政との官学連携をしながら、発展していく必要があるように思います。地域の企業などとの連携は、人財育成や大学の発展にどのような価値をもたらすとお考えでしょうか。京都府立医科大学の現状と今後の方向性について、先生のご意見をお聞かせいただけたらと思います。

夜久:我々の弱点の一つは単科大学ということで、これはデメリットの一つでしょうね。研究力という意味では医学だけの研究には限界があって、他分野にまたがった研究が研究力の向上につながります。そこで、京都府立医科大学の取り組みの一つとして学学連携、すなわち他大学との連携を考えています。
もう一つは産学連携。基礎研究とは0という何もないところから1を起こすことで、つまりseedsの創出です。我々は医学系ですから、生命現象の発見あるいは原理の解明というような基礎研究が主で、これはアカデミアの一つの基盤となります。 0から1を創り出す基礎研究の成果を、1から10へ発展させるのがトランスレーショナルリサーチの領域です。患者さんに治療を届けていく段階はこの1~10に相当しますから、非常に道のりが長いわけです。研究成果を社会貢献に役立てるという、この1~10の部分はアカデミアだけでは達成できません。
そういう意味で、企業の力をお借りして研究成果の社会実装を強化・加速するという組織が京都府立医科大学産学公連携機構「KPUM Medical Innovation Core for Society」(K-MICS)です。ちょうど3年前、私が学長になった1年目に立ち上げました。京都はたくさんの創業企業、グローバル企業がありますから、包括連携協定を組んで共同研究だけでなく人材育成にも力を入れています。企業の研究者との交流によって若手研究者の人材育成にもなっています。
たとえ結果として共同研究につながらなくても、異業種の人や異分野の研究者と付き合うことで人間として成長できるのです。他文化に接することは人材育成、研究力の向上、ひいては人間力の向上にもつながるでしょう。

石丸:医師や医療関係者のみの交流では世界が限定されてしまいます。異業種の方との交友も大事ですね。

夜久:基本的に、異文化交流は人間を成長させ成熟させる一つの貴重な機会です。日本人は単一民族であり、我々はまだまだ成熟した民族とはいえない。ヨーロッパやアメリカはもう人種のるつぼですから、日本人はあえて意識的に異文化交流をしないといけませんね。
産学連携も学学連携もある意味“異文化交流” の一つですし、学生にとっては留学なども含めて、異文化交流の輪をどう広げるかが人材育成の要点です。

石丸:学生さんにもそういったチャンスに巡りあう場所があるのでしょうか。

夜久:2025年、学内にラーニングコモンズ「Koto Square」(コトスクエア)を作りました。学生が自主的に学習できる学びの場であり、地域の医療従事者や住民との交流の場でもあります。図書館の1階をフリースペースにして、チェアやデスクも自由に組み合わせられるものを配置しています。

石丸:学生さんたちにとってすごく恵まれた環境ですね。昔は図書館といえば厳格な場所でした。食べ物を持って入るなんて、とてもそんな雰囲気じゃなかったです。それが今は一般の府民も利用できるフリースペースになったのですね。

夜久:府民に開かれた大学、その象徴となる場所です。学生や研究者、府民の皆さんが自由に交流、学習して異文化交流してくれるといいなと。

石丸:今年5月に公開された『幕末ヒポクラテスたち』という医療時代劇映画の製作スタッフの中で、「企画」のお立場で先生のお名前がクレジットされておりました。大学の創立150周年を記念して制作されたそうですね。こんな自由な発想を受け入れる、大学の寛容さに驚きました。

夜久:映画については創立150周年記念事業として、自薦他薦の多数の事業候補の中から全学公募で1位になった企画なんですよ。賛同していただいた方からの寄付・クラウドファンディングで実現できたことも素晴らしいと思っています。
大学の成長は、結局のところ教職員から上がってくる企画力にかかっています。もう学長のカリスマ性リーダーシップが肯定される時代ではないですから。ボトムアップで企画が上がってくる組織風土が大切で、各人が自覚を持って提案を上げてくれることが大学改革につながります。京都府からの派遣職員に対しても、大学の職員という意識を持ってほしいと伝えています。

 

近未来の医療体制づくり。「京都モデル」の実現を目指して。

石丸:人口減少社会を迎え、学生だけでなく大学や病院を運営する人材の確保も難しくなっているなかで、働き方改革も謳われ、医療を取り巻く環境も変化しています。
学長としての2期目、現状の課題を踏まえて今後大学としてどのような対応や工夫が求められるとお考えでしょうか。将来への展望とともにお聞かせください。

夜久:ありがとうございます。いくつかビジョンがあります。
我々は医科系の公立大学として地域医療の提供体制を担ってきましたが、今後はさらに近未来の地域医療体制を考えていかなくてはなりません。京都府には、少子高齢化による深刻な過疎化が進行している地域があります。その問題を最先端の医学や科学技術で解決しないといけない。人口減少は加速していますし、医療人材も減ってきています。しかし、京都府立医科大学は使命として地域医療を守っていかないといけない。これまでは例えば北部医療センターや地域のクリニックへ患者さんに来院してもらうことで体制が成立していましたが、医療人材が不足していくなかさらに点在化していく過疎地へいかにして医療を届けていくかが課題です。そこにこそテクノロジーが必要なんですね。
もう少し大きな視点でも医療提供体制構築の課題があり、近未来、2040年くらいを見越した計画を立てています。地域に応じたさまざまなスペックの医療機器を可搬可能としたユニットホスピタルを導入して、おそらく医師でなく看護師やソーシャルワーカーが遠隔診療、遠隔診断につなげていくことになるでしょう。
京都の企業と連携して、我々が医療ニーズをアイデアとして提供し、企業が技術開発していくというプロジェクトが始まっています。これは国の交付金を活用した、産学公連携のプロジェクトとして本年度の申請に向けて準備しているところです。
幸いなことに、京都には最北端にある過疎地から2時間ほどの距離に京都市があり、アカデミアもありますので、介入しやすい環境にあると考えます。日本が抱える課題への対策として京都モデルを作りたい。実現すれば日本各地に導入できますし、近未来には海外、特にアジアの国々に広げていくこともできるのではと考えています。

石丸:ぜひ京都モデルが実現してほしいです。日本だけではなく韓国や中国も少子化対策は重要な課題です。アジア各国に京都モデルが導入されたら素晴らしいですね。

夜久:もう一つ大切なことは教育の存在意義の見直しです。学生と職員の関係を円滑にしていくためには、現状は非常に遅れている大学のDX化を進めていくことです。まず、大学の研究教育の部分、そして事務方の働き方や業務の進め方についてもDX化を加速させて効率化を進める。それによって生み出された時間や余力を用いて対面での仕事、研究支援や教育支援で学生や研究者に直接向き合うことなどに人を動員するような、そういう大学DX化が必要ですね。母校愛が強い我々の世代とは学生の気質も違いますが、教員と学生の人間関係が良好であれば、大学への感謝や誇りを持つようになるでしょう。学生と教学担当教員との信頼関係を深めていくことも課題です。

石丸:まさに今、先の見えない世の中になってしまって、これからどんな指針を持って未来へ進んでいけばいいのか想像もしづらくなっています。そんななか、すでに近未来、2040年を見据えられている先生のような組織のリーダーが京都府立医科大学にいらっしゃることに感銘を受けています。素敵なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました。

2026年5月11日(月)京都府立医科大学にて

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